<< March 2024 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< よもすえ | main | 封印されちゃったらしい >>

Arrivederci,rossoneri

あちこちのニュース・サイトにも上がってますけども、ガゼッタが、辞任後初めてのレオのインタビューを掲載しています。
どうも、私のサッカーファン人生にとっても、いろいろ節目になるみたいなので、gazetta.itに上がってたのを訳してみました。

「レオナルドの矢」

2010年9月18日 ミラノ
「素晴らしい(Bello)」レオナルド・ナシメント・デ・アラウジョは、アレーナ・シヴィカ・スタジアムに近いセンピオーネ公園のベンチに座って、彼の選手たちについて語る時、しばしばそう繰り返した。
この秋最初の黄葉が小道の上に落ちている。
彼の瞳は、最後のクラスへの慈愛に満ちた教師の眼差しだった。
「チアゴ・シウヴァは自信と指導が必要だった。ヨーロッパは、ブラジル人DFにとっては楽に仕事が出来るところではないからね。アバーテとアントニーニはメンタルを上向きにしてやらなくてはならなくて、僕としては上手くいったと思う。アントニーニが代表だなんて素晴らしいね!ボリエッロにはスペースが必要だ。ヂダには何も言わなかったが、彼の働きは気違いじみていたね。素晴らしかった。ピルロの沈黙は影響力があった。アンブロジーニは、キャプテンとしての最初の年に、チームを引っ張ってくれた。セードルフの人間性。ロナウジーニョはエネルギーと意気込みを取り戻した。時々やる気がなくなってしまったけども、そういう時、僕は彼に「やあ」と言うんだ。すると彼は調子を取り戻したよ。パトは、怪我や困難を抱えながらも、最初のシーズンを先発メンバーとして過ごした。ネスタの死の淵からの帰還。素晴らしいことだ。彼らは、外から見ればカンピオーネだが、内から見れば、繊細で傷つきやすいんだ。彼らを指揮するのはエキサイティングでやりがいのある体験だった。素晴らしかったね」このことが、多分次はイングランドで指揮を執りたい理由の一つなのだろう。

―レオナルド、この夏はどうでした?


(長いので、畳みます)
「コヴェルチアーノで修士課程を終えた。W杯とは距離を置きたかったから、4、50日ばかりブラジルとイスキアで、今までの人生になかったような休暇を過ごしたよ」

―我々は、あなたが指導者か、2014年のW杯の組織委員になると考えていましたが。

「僕は特別な役職でなしに協力したいと言ったんだ。W杯は、僕の国にとって特別な出来事になるはずだ。僕がサッカーで得たものを、世界第9位、もうすぐ7位の経済大国になろうとしているブラジルの発展ために役立てるチャンスだよ。だけど、僕の申し出は向こうに留まったままだ。誰とも話はしていない」

―それで?

「イギリスのスカイとフランスのカナル・プリュスでチャンピオンズリーグの解説をする。今年は、ミラノを拠点にして、ロンドンとパリとリオを行き来することになる。サッカーについて勉強するつもりだ。試合を見るだけでなく本も読んでね。僕自身の専門的な素養のための記録庫を作りたいんだ。ミランでは経験の不足を補うためにそうせざるを得なかったよ。実際、僕が初めて監督として臨んだ試合は、2009年5月だったんだよ。今、僕は全ての面において、方法論を明確にしたいと思っている。チーム、クラブ、プレス…。レオナルトを雇おうとするものは、仕事の方法論を買うことになるんだ」

―レオナルドを雇うのは、誰でしょう?

「僕はイングランドに行きたい。あそこは監督が、スポーツの成果を包括的に統制する役割を果たすことが認められている。今年は、しばしばイングランドで過ごすつもりだ」

―モラッティから電話が来たら?

「我々は長年の知り合いだ。我々の会合は、いつでも友好的かつ無私なものだ。あなたがたイタリア人の言うところの『あり得ないということはあり得ない』というのは、全く言い得て妙だよね」

―ミランに属していた者としての良心に咎めはない?

「ミランは僕にとって大きな存在だった。選手として、スタッフとして、監督として。確かに、13年間の年月の中で、ある時期には、ロッソネーリは僕にとって永遠なる存在だったことがあった。だけど、その関係はもはや閉ざされたんだ。今年僕は脱皮して、新しい目で物事を見なくちゃならないけども、それはミランの一員としてじゃない」

―インテルのレオナルド。ガリアーニはどう受け止めるでしょう?

「僕の決定を尊重してくれるよ。ミランとの関係を終わらせた時のようにね」

―ベルルスコーニはチームが不調だったから、あなたを更迭したわけではない?

「二つの点をはっきりさせよう。まず、僕が13年間属したミランを去るのは戦術的な理由からじゃない。今もミランは同じようなスタイルでプレーをしている。次に、僕は自分で去ることを決心したんだ。残り一年の契約を諦めて去ることが最良の道だった。僕が去ったのは、性格も生き方も彼とは相容れなかったからだ。彼について僕が言えるのは、これだけだよ。ナルキッソスは自分を映す鏡でないものは好まないんだ」

―彼と最後に顔を合わせたのはいつ?

「3月の対ローマ戦の時だよ」

―アレグッリの就任会見で、ベルルスコーニがあなたについて多くの厳しい批判をしたのには、驚いたでしょう?

「彼がどうして僕についてそんなに語るのか理解できなかった。何か内面に問題を抱えているに違いないよ」

―ベルルスコーニがもし監督になったら、スクデットを獲ると思いますか?

「終わってから、『だから言ったでしょ』と言うのは、賢い言い草ではないよね」

―ネスタとパトの怪我がなかったら、スクデットを獲れていたと思いますか・

「二人の怪我がチームを停滞させたというなら、それはチームがスクデットを取れる体制ではなかったということだよ。僕は不平は言わない」

―シーズン当初に、補強は約束されていなかった?

「そういうわけじゃない。僕は、重要な選手を放出して他に選手を可能な限り獲得するというクラブの方針を受け入れた。カカーは戦術的な理由で放出されたんじゃない。アンチェロッティは優勝監督なのに出て行った。ベルルスコーニと疎遠にしていた間、選手たちは全てを、それ以上のものを与えてくれた。彼らは特別だ。ベテランの選手たちは決して諦めなかったし、若い選手たちは熱意を持続させた。それがミランをチャンピオンズリーグに導いたんだ。彼らは偉大だよ。彼らは、ベルナベウでの最も素晴らし勝利の瞬間を僕にもたらしてくれたんだ」

―アレグッリは、イブラヒモヴィッチとロビーニョを与えられました。

「それとボアテングとね。素晴らしい選手だ。だけど不満は言わない。くり返すけど、僕はクラブの方針を受け入れたんだ。だけど、彼らが僕に監督をやるように言ったんだよ」

―アレグッリに提案は?

「たやすい任務じゃない。怪我人が出ないことを願わなくてはならないだろうね。彼が時間と場所を与えられることが望ましい。さもないと一年ごとに監督が変わることになる。ミランにとって毎年監督が変わるのは好ましいことじゃない」

―ガリアーニはあなたを引き止めようとしましたか?

「ガリアーニは24時間ミランのために働いている。ミランに住んでいるんだ。僕は彼に限りない敬意を持っている。彼は僕にそばで経営について学ぶことを許してくれ、僕をいつも評価してくれた。そして、ロッソネーリの僕のベンチに多くのものを与えてくれた。最後には、僕の選択を受け入れてくれたんだ」

―歴史上、最も偉大なプレーヤーは?

「ペレとマラドーナを忘れてはいけない。彼らは頂点を極めた。僕が現役でのプレーを見た中では、ロナウドが最も素晴らしいね」

―カンピオナートは誰が勝ち取ると思いますか?

「インテルは、昨季に引き続き有力だと思うけど、今季は、チーム間のバランスが取れているから、混戦状態になるんじゃないかな」

―モウリーニョについては?

「彼は模範的だ。彼は偶然勝ったんじゃない。派手な記者会見の陰で多くの汗を流している」

―あなたの知っている限りにおいて、カカーがインテルでプレーするかもしれないということは驚くべきことですか?

「僕の知る限りで言うと、彼が勝利なくしてレアルを去ることが驚きだね」

―ユーヴェの困難については?

「長い時間がかかりそうだね。忍耐が必要だ。ジエゴ?彼はトリノで受け入れられていない」

―ローマは?

「彼らは一定のプレースタイルに固執し過ぎている。アドリアーノが戻ったのはいいことだと思わない。彼はブラジルで幸せだったのに。多分、彼はイタリアでの未完の挑戦を続けたかったんだろうけど」

―代表でのカッサーノとバロテッリについては?

「ああいうタイプの選手は好きだね。僕のチームにバロテッリを受け入れることは容易じゃないけど。人生は働きかけとその反応から成っている。人々は、マリオが何かに反応しているところしか見ないんだよ。彼を指導し、成長する手助けをするのは、きっと素晴らしい挑戦に違いないよ」

レオナルドは、センピオーネ公園の小道でジョギングをすることが好きだということを再発見した。「そんなに激しいトレーニングじゃなくて、長く、ゆっくりと走るんだ。一時間は止められないね」彼が生活の拠点として選んだミラノで、ゆっくりとジョギングし、コエーリョの新刊“Aleph”を読む。「シベリア横断鉄道の旅人は、人生は客車から別の客車に乗り換えるようなものだ、美から徳、霊性へと、と説く。素晴らしいね」レオナルド・ナシメント・デ・アラウジョの旅路は、彼の未来へと向かっている。残念なことに、我々イタリアのサッカーは、もはやその一部ではないのだ。


昔はインタビューと言えば、もっと奥歯に物が挟まったような、歯がプカプカ浮いちゃうようなことばっかり言う人だったのにね…「すさんだなアルテイシア(古)」とか思っちゃったんですけども。
そーいや、代表を途中で離脱した時も、結構ルシェンブルゴのことをいろいろ言ってたなーとも思いましたが。

でも、はっきりミランに三行半突きつけてたのは、軽くショックでした。
で、ああ、これで私と赤黒さんたちのご縁も切れたんだなーとしみじみ思いましたよ。
かれこれ13年ですか。長かったなあ。結構辛いことの方が多かったけど、赤黒さんたちのご縁がなかったら、イタリアに単独自由旅行なんて一生しなかったよなー。
選手たちはみんな(レオに)良くしてくれたので、嫌いになるということはないと思います。オーナーは、ほんっとアレだけどね…。

将来プレミアで監督になったら、イングランドで年越しですかね?って、え。

それにしても、日本のミラニスタの方たち、あれだけ批判とかあまつさえバカにしたり(誰がエロ首相の操り人形だって???)してたくせに、今更手のひらを返したように、「レオナルドがいなくなって寂しい」とか言われても。
アレグッリが監督に決まって喜んでたくせに。
その前に言うべきことがあるんじゃないの?
現地のサポより日本のファンのがムカつくってどゆこと。
楊翠霞 * サッカー語り * 13:35 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

コメント

コメントする









トラックバック

このページの先頭へ