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はてしない物語

しばらく前に、久しぶりに再読したら、結構映画「ネバーエンディングストーリー」(1章のみ。2章は観たけどほとんど記憶なし。3章は観る気にもならなかった)の場面が浮かんできて、懐かしかったです。
エンデ氏はお気に召してなかったようですが、結構頑張ってたと思うんですよね、あの映画も。…「蛇足」のお手本みたいなラストシーンさえなければ(-_-;。(ちなみに某児童文学の4作目もそんなオチ。もし映画になったらどうなるんだらう。ベンさんがいじめっ子退治って)
つい最近まで(何故か)箱根駅伝のテーマ曲に使われてたサントラとか、リマールの主題歌とか、超懐かしい。
CGとかが発達する前のことなので、視覚効果的にはかなり素朴なんですが。今なら、カイロン先生もケンタウロス姿で視覚化できるのにねん。(何故か萌えてみるふふふ)
再映画化の話とかないのかな。

以前、『モモ』の感想を書いた時(こちら)、世界の造型がシュールレアリスティックだと指摘しましたけども、『はてしない物語』は異世界物だけに一層モダンアート的な世界観になっているので、ティム・バートン辺りのセンスでまた映像化すると楽しいじゃないかって思いますけども。
内容が全くブラックでないので、そこはちょっと違うかもですが。


以下、ネタバレがあるかもなので、畳みます。
モダンアート的といえば、後半、バスチアンがファンタージエンにやって来てまもなくの頃に、彼が考え出すものって、シュールというよりは、文字通り小五男子の発想って感じで、かなり造型が幼稚な印象を受ける。スメーグなんか、実際に子どもがした落書きを参考にしたじゃないかって感じ。
それが、段々事態がバスチアンの手に負えなくなっていくにつれて、どんどん、世界が、洗練され、複雑な造型になっていく。「目のある手」とか、ちょっとダリっぽい?
終盤の「変わる家」とか「絵の採掘坑」などは、情景そのものから深い精神性を感じさせるほど。
異世界ファンタジーで、世界の造型を変化させることで、物語の進展を語るという手法は、意外となされてないと思うので、面白いなって思いました。世界が荒廃したり、季節の移り変わりで表現するっていうのはよくありますが。

以前、旧ブログに上げた某映画の感想(こちら)の中でも述べたことなんですが、主人公が現実世界から異世界にスリップするタイプのファンタジーは、主人公の「行き方」に力を入れて語られることはあっても、「帰り方」に焦点が当てられることはなかったのが、この作品では、作者はむしろ主人公の自分の世界への「帰り方」を主題の中心に据えているように見えます。
それが、ファンタジーを現実逃避の文学とする批判に異議を唱え、また、空想の世界に現実逃避する傾向へに警鐘を鳴らそうとしているものであるのは、割とはっきりしているのですけども。

最近になって再読した時、この作品が発表された当時(1979年)と比べて、マンガ・アニメなどの表現媒体の飛躍的な拡大とインターネットの発達によって、よりヴァーチャルな世界にのめりこみやすくなり、現実環境と擬似環境の区別がつきにくくなっている現状を思うと、この作品に描かれている警告がより現実味を増していて、ちょっと背筋が寒くなるところがありました。
私自身、初読だった10代〜20代前半の頃は、ヴァーチャルな世界に逃避する傾向が強かったので、作者のメッセージが届きにくかったというのもあるやもしれませんが。
自分の内なる想像の世界に引き籠もってしまって、現実を見ようとしない傾向というのは、現在の深刻な社会病理の一つに挙げられると思うんですが、「元帝王たちの都」の描写には、戯画的な描き方なだけに、より生々しい恐怖感が感じられる。

そして、何より美しいのは、結局のところ、人を現実の世界に繋ぎ止めるのは、誰かを愛したいという気持ちだということ。
記憶を失ったバスチアンが自分の世界に帰るための拠りどころになったのは、他ならぬお父さんへの愛情だったわけです。
ミンロウド坑の底で、お父さんの絵を見つけるシーンは、何度読んでも目頭が熱くなるんですが、その辺のところも、初読の時には、理解出来ていなかったように思います。

そこには、ただ「夢の世界に逃避してはいけない」と説教調で言うばかりでなくて、「そんなに現実の世界って醜いものかな?」「君の世界には、君を愛してくれる人、君が愛して上げられる人がいるんじゃないの?」という作者の暖かいメッセージが籠められていると思うんですよね。
バスチアンの現実が灰色だったのは、必ずしも現実の方だけに問題があるのではなくて、バスチアン自身にも灰色に見えてしまう要因があったのかも。
自分の世界に帰ってから、バスチアンの笑顔が周りの人を慰めたという件りは、魂の救済すら感じさせますね。

それから、初読の時から、アトレーユが何を象徴するのかというのが気になっていたんですが、今回の再読で、やはり彼はバスチアン自身ではなかったかと思いました。
正確には、正しい友情とか正義感を重んじるバスチアンの良き心の部分を表す分身ではないかと。
アトレーユとの相克は、結局のところ、バスチアン自身の「帰るべきか、残るべきか」という葛藤だったわけで。

ちなみに。
この感想書くためにもう一回再読したら、グモルク→アトレーユに萌(ryというのは秘密だ。
「どうしておまえはそんなに意地がわるいんだ?」って。
それに対するグモルクの返事がまた。

…すんません、こんなオチで。
楊翠霞 * 読書感想文 * 17:29 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

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