<< October 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

持って帰りたいもの

先日、須賀敦子さんの『霧のむこうに住みたい』を読んでいたら、フィレンツェの印象を語った一節に、「街中に持って帰りたくなるものがたくさんある」というのがあったんですよ。で、あとがきで、その一節について、ある女性作家の方が「少女のようで微笑ましい」といった趣旨の、妙に上から目線っぽいことを書いていて、それを読んで、あー、この人とは絶対に話が合わないわって思ったんですけども。まあ、実際、その人の作品は読んだことないし。冷静と情熱の間は普通じゃんね(←)。

どうして、そんなことを思ったのかと言うと、私自身、旅先とか美術館とか博物館とか行って、しょっちゅう「いや〜、これ欲し〜、これ持って帰りた〜い」って叫んでるんで、須賀さんの文章にも「わかるわかる〜私もフラ・アンジェリコの『受胎告知』は持って帰りたかった〜」(壁画なので無理ってそういう問題)ってものすごーくシンパシーを感じてたところだったんで、カチンと来たわけです。

私がフィレンツェで、本当に心の底から持って帰りたい(抱えて走ったら、どれくらい逃げられるかなって一瞬真剣に考えた)と思ったのは、パラティーナ美術館で見たラファエロの「小椅子の聖母」。
ラファエロの聖母子像は、どれも好きですけども、有名な「美しき女庭師」も「ひわの聖母」の聖母マリアも美しいですけども。
「小椅子の聖母」の聖母の可憐さと来たら。
何かの図版で見てメロメロだったので、数年前、フィレンツェを訪ねた折、いそいそとパラティーナ美術館のあるアルノ川左岸のピッティ宮に向かったものでございますよ。

そうしたらですね。
行けども行けども、ない!壁一面にびっしりと絵が飾られた展示室を幾つも幾つも通っても、「小椅子の聖母」も、同じラファエロの「大公の聖母」も、どこにもない!!
とうとう出口近くまで来てしまって、「私は何のためにフィレンツェに来たんだ(←大げさ)」と涙目になっていたところ。

あったんですよ、そこに。
出口の手前の所に、「小椅子の聖母」と「大公の聖母」だけが別に展示してあったんです。
普段の展示室が工事中で、この二点だけ特別に別室に展示されてたんですな。

まー、そんな出会いだったこともあって、実際に絵の前に立った時は、マジ泣きするかと思うくらい感動しました。
そして、実物で見る聖母の可憐さにすっかり魂を奪われてしまったです。
絵が丸い形をしていて、全体の構図も円を意識していて、優しくて柔らかな印象を強調しているし、こちらをじっと見つめている、いわゆるカメラ目線(←)に引き込まれるし、何より聖母の、慈愛に満ちた母性というよりは、清楚で愛くるしい少女を感じさせる表情の魅力。
ちょうど抱えて持てそうな大きさなのと、絵が飾られている位置がちょうど胸の辺りの高さだったこともあって、抱えて走って逃げたい衝動をかなり苦労して抑えたものでしたよ、ええ。

フィレンツェに滞在していたのは三日間だったんですが、本当に名残り惜しくて、三日目にミラノ行きの電車に乗る前に、もう一度見に行ったくらい夢中になりました。
フィレンツェの美術館と言えばウフィツィですけども、「大公の聖母」も美しかったし、ティントレットの“La Bella”とかフィリッポ・リッピの聖母子像とか、美しい名品の多い美術館ですね、パラティーナ美術館。

この間、テレ東の「美の巨人たち」でこの絵を取り上げていたので、そんなことを思い出しながら見ていたのです。円の形と構図や聖母のカメラ目線(←)の効果にも触れられていて、非常に興味深い内容でした。
…BDにしたつもりだったのに、DVDにダビングしてしまたですけども。orz

あ、あとフィレンツェでは、サン・ジョヴァンニ洗礼堂とサンタ・クローチェ教会のファサードとサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の鐘の音が持って帰りたいと思ったよ。
楊翠霞 * 美術 * 11:55 * comments(0) * trackbacks(0) * - -
このページの先頭へ