SHERLOCK(シャーロック)2 第3話 「ライヘンバッハ・ヒーロー」
2013.01.12 Saturday
実のところ、「ベルグレービア」後半のぐだり具合に加え、自分的には絶賛だった「バスカ」の酷評を読んじゃったせいで、ちょっとこの作品に対するテンションが落ち気味(発達障害?なホームズとメンタルが不安定なワトスンってのも何か違うだろって気分になってきてたし)だったんですけども。
(後、某方面での人気のヒートアップ具合に乗りきれてないってのもある…でもその筋の影響で、このドラマに限っては二人を「シャーロック」「ジョン」とファーストネームで呼ぶ習慣になってしまったのには、とっても敗北感)
いやだがしかし。
3話見て俄然やる気が復活しました。
これは凄い。めちゃくちゃ面白い。
とんでもないドラマだよ、これは。
物語のコンセプトは映画化もされたニコラス・メイヤーのパスティーシュ、『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』から着想(モリアーティは平凡な数学教師で、悪の天才というのはコカイン中毒に陥ったホームズの妄想である)を得たものであろうと思いますが、そのアイデアを深化させて、モリアーティの巧妙かつ狡猾な罠が、シャーロックをじわじわと追い詰め、陥れ、破滅させてゆく、そこに現代社会の病理まで絡めて描く、その過程の凄まじさが実に見事で、芸術的ですらあった。
モリアーティ役のアンドリュー・スコットの演技が素晴らしい。イギリスの役者さんってほんっとうまい人が多いなー。
元ネタが「最後の事件」なんで「ホームズ死んだふり」は正典読みには想定内のクリフハンガーかと思ったんですが、ラストで「死んだふり」は早くもバラされて、じゃあどうやって死を偽装したのか、死んだふりの真意は、残されたキーコードの謎(モリアーティが打った数字とシャーロックが病院で打った数字が違う)は、どうやって「生き返って」くるのか、など、いろいろ酷いクリフハンガー状態(^^;)
べネくんもマーティンも忙しいからなあ。いつ第3シリーズが見られるかなあ(遠い目)。
正典のワトスンって、いい意味で「良識のある大人」で、それがホームズの欠点を補い、献身的に彼を支えてバランスを保つ役割なんだけど(グラナダ版、特にハードウィック・ワトスンはその傾向が顕著だった)、このシリーズのジョンは、この現代社会でよるべなく漂う不安定な存在で、よくも悪くも自分というものがあって(正確にはでっかい子供なんだけど)、むしろそれに固執しているシャーロックが、彼にとって碇のような存在になっているのかな、などと。
正典のワトスンが「移り変わる時の流れの中の、一つの岩」とホームズに評されているように、その古風で揺るぎのない人柄によってホームズの精神的な支えになっているのとは正反対。
19世紀の物語を21世紀に移植するにあたって、時代の精神にまで目配りをしているということになるのでしょうか。だとしたら凄いな。
シャーロックにとってのジョンというのは、きっと「何だかよく分からないけど、とても大切なもの」ってことかな。
モリーが「彼が見ていない時は悲しい顔をする」というのは、ジョンにずっと見ていて欲しいってことで、「落ちる」直前の「僕をずっと見ていて」に繋がっているんだと思う。
まあ、「でかい子供」だからね。単純に好きな人に注目していて欲しいってことなのかな。
モリーの女優さんもうまいと思う。彼女、どんな位置づけなのかしら。正典に該当人物がいないから、物語のキーにしやすいよね。
それにしても、あの死んだふりは酷かったな。
正典とかグラナダ版みたく、マーティンがふらっと失神するところ見たいハァハァって思ってたけど、あれは助走付けてぐーで殴って逆に失神させていいレベル。
原題の"The Reichenbach Fall"、もちろん“fall”=「滝」で「ライヘンバッハの滝」だけど、おそらく“fall”=「落ちる」にかけられていて、“Reichenbach falls”という意味が隠されていると見てもいいはず。
Reichenbach=Ricard Brookでモリアーティの偽名だから、“Moriarty falls”と置き換えれば、実際に落ちたのはモリアーティの死体ってことでいいのかな。ジョンは、転落の瞬間を見てないし、すぐに駆けつけられなかったから、替え玉には気づいていないってことか。
もちろんどうやってすり替わったかなんてのはさっぱり見当つかないけど。
ジョンはもちろん、ハドスンさんも最後までシャーロックの味方だというのは分かるが、レストレイドも、というのは結構意外。
レストレイドが好意的に描かれる傾向(ガイ・リッチー版もそうだよね)は、やっぱりグラナダ版の影響?
まあ、シャーロックが「生き返った」時のフォロー役で必要なんだとは思うが。
何か「バスカ」でも思ったんだが、正典のワトスン的なキャラは、レストレイドに移植されてる気がするんだけど、「いい意味で良識のある大人」。彼もまた家庭に欠損を抱えてたりしているわけだがね。
マイクロフト兄ちゃんの頼りないことときたら。まあ、政府のお偉いさんという設定から、物語の都合上、結構便利に使われちゃってる面は否めないですけどぬ。
以下小ネタ。
・ターナーに「ライヘンバッハの滝」って作品があるんかww
・英国の裁判所では女性もカツラ被るんだ。
・陪審がテレビ見ていいんかい。
・ディオゲネス・クラブ!しゃべったらいかん!ジョン!
・グレグスンて。出てきてないよね?
・ジョンが窓から通りを見下ろす図は、グラナダ版を思い出すのう。
・誰に一発喰らわせても法律違反だよん、ジョン。
・みんなの願望をついたって、二人で手錠に繋がれて逃走すること?
・ニセの通報でジョンだけ呼び出される。正典通りだな、この辺。
・ジョンが「言いたかったけど、言えなかったこと」は“I love you”でFA?って、あ。
(後、某方面での人気のヒートアップ具合に乗りきれてないってのもある…でもその筋の影響で、このドラマに限っては二人を「シャーロック」「ジョン」とファーストネームで呼ぶ習慣になってしまったのには、とっても敗北感)
いやだがしかし。
3話見て俄然やる気が復活しました。
これは凄い。めちゃくちゃ面白い。
とんでもないドラマだよ、これは。
物語のコンセプトは映画化もされたニコラス・メイヤーのパスティーシュ、『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』から着想(モリアーティは平凡な数学教師で、悪の天才というのはコカイン中毒に陥ったホームズの妄想である)を得たものであろうと思いますが、そのアイデアを深化させて、モリアーティの巧妙かつ狡猾な罠が、シャーロックをじわじわと追い詰め、陥れ、破滅させてゆく、そこに現代社会の病理まで絡めて描く、その過程の凄まじさが実に見事で、芸術的ですらあった。
モリアーティ役のアンドリュー・スコットの演技が素晴らしい。イギリスの役者さんってほんっとうまい人が多いなー。
元ネタが「最後の事件」なんで「ホームズ死んだふり」は正典読みには想定内のクリフハンガーかと思ったんですが、ラストで「死んだふり」は早くもバラされて、じゃあどうやって死を偽装したのか、死んだふりの真意は、残されたキーコードの謎(モリアーティが打った数字とシャーロックが病院で打った数字が違う)は、どうやって「生き返って」くるのか、など、いろいろ酷いクリフハンガー状態(^^;)
べネくんもマーティンも忙しいからなあ。いつ第3シリーズが見られるかなあ(遠い目)。
正典のワトスンって、いい意味で「良識のある大人」で、それがホームズの欠点を補い、献身的に彼を支えてバランスを保つ役割なんだけど(グラナダ版、特にハードウィック・ワトスンはその傾向が顕著だった)、このシリーズのジョンは、この現代社会でよるべなく漂う不安定な存在で、よくも悪くも自分というものがあって(正確にはでっかい子供なんだけど)、むしろそれに固執しているシャーロックが、彼にとって碇のような存在になっているのかな、などと。
正典のワトスンが「移り変わる時の流れの中の、一つの岩」とホームズに評されているように、その古風で揺るぎのない人柄によってホームズの精神的な支えになっているのとは正反対。
19世紀の物語を21世紀に移植するにあたって、時代の精神にまで目配りをしているということになるのでしょうか。だとしたら凄いな。
シャーロックにとってのジョンというのは、きっと「何だかよく分からないけど、とても大切なもの」ってことかな。
モリーが「彼が見ていない時は悲しい顔をする」というのは、ジョンにずっと見ていて欲しいってことで、「落ちる」直前の「僕をずっと見ていて」に繋がっているんだと思う。
まあ、「でかい子供」だからね。単純に好きな人に注目していて欲しいってことなのかな。
モリーの女優さんもうまいと思う。彼女、どんな位置づけなのかしら。正典に該当人物がいないから、物語のキーにしやすいよね。
それにしても、あの死んだふりは酷かったな。
正典とかグラナダ版みたく、マーティンがふらっと失神するところ見たいハァハァって思ってたけど、あれは助走付けてぐーで殴って逆に失神させていいレベル。
原題の"The Reichenbach Fall"、もちろん“fall”=「滝」で「ライヘンバッハの滝」だけど、おそらく“fall”=「落ちる」にかけられていて、“Reichenbach falls”という意味が隠されていると見てもいいはず。
Reichenbach=Ricard Brookでモリアーティの偽名だから、“Moriarty falls”と置き換えれば、実際に落ちたのはモリアーティの死体ってことでいいのかな。ジョンは、転落の瞬間を見てないし、すぐに駆けつけられなかったから、替え玉には気づいていないってことか。
もちろんどうやってすり替わったかなんてのはさっぱり見当つかないけど。
ジョンはもちろん、ハドスンさんも最後までシャーロックの味方だというのは分かるが、レストレイドも、というのは結構意外。
レストレイドが好意的に描かれる傾向(ガイ・リッチー版もそうだよね)は、やっぱりグラナダ版の影響?
まあ、シャーロックが「生き返った」時のフォロー役で必要なんだとは思うが。
何か「バスカ」でも思ったんだが、正典のワトスン的なキャラは、レストレイドに移植されてる気がするんだけど、「いい意味で良識のある大人」。彼もまた家庭に欠損を抱えてたりしているわけだがね。
マイクロフト兄ちゃんの頼りないことときたら。まあ、政府のお偉いさんという設定から、物語の都合上、結構便利に使われちゃってる面は否めないですけどぬ。
以下小ネタ。
・ターナーに「ライヘンバッハの滝」って作品があるんかww
・英国の裁判所では女性もカツラ被るんだ。
・陪審がテレビ見ていいんかい。
・ディオゲネス・クラブ!しゃべったらいかん!ジョン!
・グレグスンて。出てきてないよね?
・ジョンが窓から通りを見下ろす図は、グラナダ版を思い出すのう。
・誰に一発喰らわせても法律違反だよん、ジョン。
・みんなの願望をついたって、二人で手錠に繋がれて逃走すること?
・ニセの通報でジョンだけ呼び出される。正典通りだな、この辺。
・ジョンが「言いたかったけど、言えなかったこと」は“I love you”でFA?って、あ。